おちゃらけミクロ経済学: アダムスミスと見えざる手(1)

2012年9月20日木曜日

アダムスミスと見えざる手(1)

見えざる手について



みなさん、見えざる手という言葉を聞いたことはありますか?



おそらく中学校の社会科の授業や、
高校の世界史の授業で、聞いたことがあるのではないでしょうか?



かくいう管理人も、中学生のとき、
高校受験の暗記必須項目として、この単語を覚えました
(覚えさせられたともいうべきか)。






2つの見えざる手~「国富論」と「道徳感情論」




ご存知の通り、これは、アダム・スミスが、自らの著作で用いた言葉です。
管理人が使っていた社会科の教科書では、「国富論」から引用されていることになっていました。



「国富論」見えざる手は、
社会全体において、適切な資源配分が達成されるとする考え方を、指します。




しかし、この見えざる手という記述は、
同じくアダム・スミスが書いた道徳感情論という本にも登場します。



"かれら(高慢で無感覚な地主)の生まれつきの利己性と貪欲にも関わらず、
自分たちのすべての改良の成果を、貧乏な人々ともに分割するのであって、
たとえかれらは、自分たちだけの便宜を目ざそうとも、(中略)
かれらは、見えない手に導かれて、大地がそのすべての住民のあいだで
平等な部分に分割されていたばあいに、なされたであろうのと
ほぼ同一の、生活必需品の分配を行うのであり"


アダム・スミス 水田洋訳「道徳感情論(下)」岩波文庫P24



この引用文をかいつまんで説明すると、



「貪欲な地主(お金持ち)が、自分の嗜好のためにぜいたく品を購入すれば、
自然の成り行きでいつのまにか、貧乏人にも生活必需品が行き渡る」




ということになります。


何かあられもない書き方ですが、なぜ「金持ちの貪欲さ」が必需品の分配を、
行うことになるのでしょうか?
(つづく)







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